ふるさとは とおくにありて おもうもの
2001年2月24日うちの家族について。
私の家は、昔から、やたら親が厳しかった。
特に父親は、平気で殴りもしたし、
(言っておくが、虐待ではない。ちゃんとそこには愛があった)
むちゃくちゃな理論で、型にはめ込まれたり、怒られたりした。
うちは共稼ぎで、母もばりばりのキャリアウーマンなので
普段は妹と遊んでいて、
今でも妹とは二人で住んでいて、めちゃめちゃ仲がいい。
中学くらいまではひたすら親の顔色をうかがって暮らしていた。
高校くらいから、少し反抗したり、喧嘩したり、何かと衝突していたけれど、
やっぱり親という大きな存在に縛られていた。
大学で家を出て一人暮らしを始めて
初めて親から開放された。
と、思っていた。
でも、それは、よく考えると、開放されていたのではなく、
ただただ、衝突を回避できるようになっただけだったのかもしれない。
電話で説教されたってへいへい言っておけばいいし、
自分が何も言わなかったら、親には何も伝わらない。
大学に入ってから唯一親と正面衝突したのは、
私が大学院に進むと言ったときだった。
私は学部のときにも就職しようと一瞬思っていたのだけれど、
メンタツ読んで、マニュアルどおりに就職活動を進めようとしたあまり、
自己分析でノイローゼ気味になってリタイヤした大馬鹿者であります。
(そのせいで、いまでも就職本は怖くて手が出せない。
自分が全て否定されている気がするから。)
で、院に行きたい、って親に言ったら
やっぱり親はわかるんだろうね。
そんな甘い考えが通用するわけないだろバカヤロ。
みたいな大喧嘩になった。
でも私はむりやり「私はもっと研究続けたい」「研究職に就職するなら修士の方が有利」なんて言って
糖尿で酒をやめてる父親にウイスキーを半分も空けさせるという
親不孝な娘に成り下がってまでも
院に進ませてもらった。
だから、こと就職に関しては、親には何も相談したくなかった。
ていうか、できなかった。
親は当然、私が大学院での研究を生かした職(すなわち公務員)に就くと思っていたので
企業で就職活動をするって言っていることも納得いってないと思うし、
実は私が、専攻とまったく関係がない仕事がしたいなんて
絶対言えないと思った。
で、全てを曖昧にして、就職活動してた。
これ以上心配や迷惑をかけたくないっていうのもあるけれど、
自分ひとりでなんでもできるようになったってことを認めて欲しかった。
ちゃんとお金稼いで、親にも仕送りして、
独り立ちして暮らせるっていうところを見せたかった。
でも、最近始まったこのどうしようもない絶望感。
未来が見えない不安。就職しなくちゃっていうプレッシャー。
受験のために実家に戻っている妹からの
「最近どうよ?」っていうメールに張り詰めていた糸が切れて
(最近切れやすいわ。この糸。)
つい、弱音を愚痴ってしまった。
この子も受験前なのに、なにを相談してるんだかこの姉は。
そうしたら、妹は親にそのことをなんとなく言ったらしく、
心配した母から今日電話が来た。
最近たまに電話しても、声に全然元気がない。
まるであんたじゃないみたいだよ。
就職活動行き詰まってるんじゃないの?
って言われて、
私はいつもみたいに突っ張るの忘れて
本当に、子供みたいに泣きそうになってしまった。
でも、そんな弱みを見せるのはいやなので
何とか我慢しながら、
うーん、やっぱり面接って難しいよね。みたいなことを言ったら、
「私も昇級試験でもう面接何回もしてるけど、
10分や15分の面接で何がわかんのよ、って思うときあるよ。
確かに、試験だけじゃ決まらない就職ってシビアな面あるし、
大学入試の方が努力の余地があるっていうあんたの気持ちすごくわかる。
でも、入試みたいに一回きりっていうわけじゃないでしょ。
あんたのいいところって絶対あるし、
そこ見てくれる会社、きっと見つかるよ。
公務員だって、あんたは教免だって持ってるし、
もっと気楽になっていいんだよ。」
って。
絶対、嫌味なこと言われて、最後は「地元帰って来い」って言われると思ってたから
すごくびっくりして、すごく嬉しかった。
大学入って初めて、ちゃんと話せた気がした。
それに、ずっと母親だけがいちゃもんつけてた私と彼氏との付き合いも
「これからのこと考えたら、勤務地とか、いろんなことも考えてかなきゃいけないしね」
って、容認っぽい発言もしていた。
結局3時間くらい長電話して、
久しぶりに気持ちがすっとした。
うちはなんか、お互い遠慮しあって聞きたいことがストレートに聞けず、
ついつい嫌味な言い方になったり、喧嘩腰になったりするけれど、
今回みたいに妹が緩衝材になったり、
逆に妹と親との問題のときは私が緩衝材になったりして
うまくまとまることがよくある。
変な家族形態なのかもしれないけれど、
こういう有機的なつながりって、人間ぽくてすごくいい。と思いました。
家族ってすごくいい、って思いました。
実は、今日、デルモンテから不合格通知がきていた。
でも、母親との電話の後だったので、別に落ち込まなかった。
あせーるこーとないさ、あせーるこーとないさ、わかーってくれるだろう。
っていう、トータスの歌声が聞こえてくるようです。
夜遅く、父から電話がかかってきて
「就職活動どうだ?」
って聞かれたけれど、
いたって明るく、
「落ちまくってるけど、まだ始まったばっかりだからねー。」
って言えた。
明日がある。明日がある。明日があるさ。
私の家は、昔から、やたら親が厳しかった。
特に父親は、平気で殴りもしたし、
(言っておくが、虐待ではない。ちゃんとそこには愛があった)
むちゃくちゃな理論で、型にはめ込まれたり、怒られたりした。
うちは共稼ぎで、母もばりばりのキャリアウーマンなので
普段は妹と遊んでいて、
今でも妹とは二人で住んでいて、めちゃめちゃ仲がいい。
中学くらいまではひたすら親の顔色をうかがって暮らしていた。
高校くらいから、少し反抗したり、喧嘩したり、何かと衝突していたけれど、
やっぱり親という大きな存在に縛られていた。
大学で家を出て一人暮らしを始めて
初めて親から開放された。
と、思っていた。
でも、それは、よく考えると、開放されていたのではなく、
ただただ、衝突を回避できるようになっただけだったのかもしれない。
電話で説教されたってへいへい言っておけばいいし、
自分が何も言わなかったら、親には何も伝わらない。
大学に入ってから唯一親と正面衝突したのは、
私が大学院に進むと言ったときだった。
私は学部のときにも就職しようと一瞬思っていたのだけれど、
メンタツ読んで、マニュアルどおりに就職活動を進めようとしたあまり、
自己分析でノイローゼ気味になってリタイヤした大馬鹿者であります。
(そのせいで、いまでも就職本は怖くて手が出せない。
自分が全て否定されている気がするから。)
で、院に行きたい、って親に言ったら
やっぱり親はわかるんだろうね。
そんな甘い考えが通用するわけないだろバカヤロ。
みたいな大喧嘩になった。
でも私はむりやり「私はもっと研究続けたい」「研究職に就職するなら修士の方が有利」なんて言って
糖尿で酒をやめてる父親にウイスキーを半分も空けさせるという
親不孝な娘に成り下がってまでも
院に進ませてもらった。
だから、こと就職に関しては、親には何も相談したくなかった。
ていうか、できなかった。
親は当然、私が大学院での研究を生かした職(すなわち公務員)に就くと思っていたので
企業で就職活動をするって言っていることも納得いってないと思うし、
実は私が、専攻とまったく関係がない仕事がしたいなんて
絶対言えないと思った。
で、全てを曖昧にして、就職活動してた。
これ以上心配や迷惑をかけたくないっていうのもあるけれど、
自分ひとりでなんでもできるようになったってことを認めて欲しかった。
ちゃんとお金稼いで、親にも仕送りして、
独り立ちして暮らせるっていうところを見せたかった。
でも、最近始まったこのどうしようもない絶望感。
未来が見えない不安。就職しなくちゃっていうプレッシャー。
受験のために実家に戻っている妹からの
「最近どうよ?」っていうメールに張り詰めていた糸が切れて
(最近切れやすいわ。この糸。)
つい、弱音を愚痴ってしまった。
この子も受験前なのに、なにを相談してるんだかこの姉は。
そうしたら、妹は親にそのことをなんとなく言ったらしく、
心配した母から今日電話が来た。
最近たまに電話しても、声に全然元気がない。
まるであんたじゃないみたいだよ。
就職活動行き詰まってるんじゃないの?
って言われて、
私はいつもみたいに突っ張るの忘れて
本当に、子供みたいに泣きそうになってしまった。
でも、そんな弱みを見せるのはいやなので
何とか我慢しながら、
うーん、やっぱり面接って難しいよね。みたいなことを言ったら、
「私も昇級試験でもう面接何回もしてるけど、
10分や15分の面接で何がわかんのよ、って思うときあるよ。
確かに、試験だけじゃ決まらない就職ってシビアな面あるし、
大学入試の方が努力の余地があるっていうあんたの気持ちすごくわかる。
でも、入試みたいに一回きりっていうわけじゃないでしょ。
あんたのいいところって絶対あるし、
そこ見てくれる会社、きっと見つかるよ。
公務員だって、あんたは教免だって持ってるし、
もっと気楽になっていいんだよ。」
って。
絶対、嫌味なこと言われて、最後は「地元帰って来い」って言われると思ってたから
すごくびっくりして、すごく嬉しかった。
大学入って初めて、ちゃんと話せた気がした。
それに、ずっと母親だけがいちゃもんつけてた私と彼氏との付き合いも
「これからのこと考えたら、勤務地とか、いろんなことも考えてかなきゃいけないしね」
って、容認っぽい発言もしていた。
結局3時間くらい長電話して、
久しぶりに気持ちがすっとした。
うちはなんか、お互い遠慮しあって聞きたいことがストレートに聞けず、
ついつい嫌味な言い方になったり、喧嘩腰になったりするけれど、
今回みたいに妹が緩衝材になったり、
逆に妹と親との問題のときは私が緩衝材になったりして
うまくまとまることがよくある。
変な家族形態なのかもしれないけれど、
こういう有機的なつながりって、人間ぽくてすごくいい。と思いました。
家族ってすごくいい、って思いました。
実は、今日、デルモンテから不合格通知がきていた。
でも、母親との電話の後だったので、別に落ち込まなかった。
あせーるこーとないさ、あせーるこーとないさ、わかーってくれるだろう。
っていう、トータスの歌声が聞こえてくるようです。
夜遅く、父から電話がかかってきて
「就職活動どうだ?」
って聞かれたけれど、
いたって明るく、
「落ちまくってるけど、まだ始まったばっかりだからねー。」
って言えた。
明日がある。明日がある。明日があるさ。
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